心理学について
心理学と幼少期
唐突ですが、私は心理学にどっぷりつかっていたことがあります。とはいえ、大学で専攻していたというわけではなく、心理学を生業とする親からゲームのような形で教わりました。
父がブティック経営をしていた時、母はエゴグラムを使った心理分析と性格変革のサポートをする会社を設立し、代表取締役兼カウンセラーをしていました。自宅で電話で相談を受け、カウンセリングをしている姿は今でも思い出すことができます。
娘の目には、なんでもできる憧れの母がやっているエゴグラムですから、それはもう頑張って習得しようとしていました。その習得のための訓練に、あるゲームが家族内で流行り定番化します。そのゲームは私が幼稚園児の頃から高校を卒業するまで、母と姉と私の共通の遊びとなりました。そのゲームとは、街にいる人の姿や行動を見て、性格(エゴグラムのグラフの図形を当てる、なんなら各要素の数値まで)を当てることでした。
エゴグラムは人格を表す5つの要素の相関関係から行動分析、心理分析をするというものです。
CP,NP,A,FC,ACの5つの要素を、それぞれ0-20点で表します。
「見て、あの人今●●したよ。CP、FC、A、AC、NPの順番で高い逆N型で、NP以外はAの範囲内と見た。CPについては20-18点くらい」
「ファッション傾向を見るに、あの人はFCがわりと高いタイプだね、15-17くらいはありそう。年齢は35歳をすぎていそうだけど、年齢のわりにスタイルも良いしたしかにCPは高そう。」
「あの行動はCPによるものだけれど、●●したときに、●●もしていたからAも起因してるね。」
こんな感じで遊んでいました。性格悪そうに見えてたらすみません。しかし人として良し悪しを判断するではなく、純粋にどういう人間なのかを当てるという遊びでした。
この遊びのおかげで生きた心理学ができたため、自分が学級長や委員長をするときは色々な采配がうまくいくことが多かったです。実績からか翌年も先生のご指名で何かと長になることも多かった。生徒会役員になった経緯に至っては、全職立候補制にも関わらず、立候補もしていない私をねじこむために選挙終了後に生徒会室長という新たな役職を先生方が作って、室長になるよう熱心に説得してきました。
心理学の功罪
このスキルのデメリットは、自分を含め人間を客観的に見ることが当たり前だったため、人を好きにならないことでした。ある時期までは、私の人生の課題は自ら人を好きになることと思うほどに、心理学が人生の弊害にもなりました。
恋に恋する中学生の頃などは、折れたシャー芯が好きな人の机から飛んできただけでテンションが上がり、目が合おうものなら失神でもするんじゃ、くらいの勢いがあります。好きな人のことについて友達同士で喋る彼女たちの姿は眩しく、私はそれを横目で羨ましく見ていたものでした。
自ら望むより早く求められたので、己の恋愛レベルが全く上昇しないまま経験値のみ上昇していきました。
自分から好きになることがないので、告白してくれた異性についても人として好きの範疇を超えません。それでも若い頃から色んな人と付き合ったのは、心理学的に人と深く付き合ったほうが、幅が広がる、特に自分と性質が違う人間と付き合ったほうがより学びが多い、という打算的判断からでした。そのため告白してくれる人の中で一番自分と性質が違う人間を選んで付き合う形をとっていました。
そのような形で心理学によってだいぶん拗らせた青春期を過ごす結果となりました。
大学生くらいになると心理学は自分にとって癌でしかないと感じはじめ、自主的に心理学脳を停止させることを決意しました。その頃には心理分析をするのは息を吸うのと同じくらい体に組み込まれたものだったため、全く考えずに済むまでに随分時間がかかりましたが、社会人になる前くらいには自然に考えてしまうことは辞められるようになりました。
今では使いたいときに使える状態でオンオフが切り替えられるような感じです。身近な人にはこの特殊能力を特別に提供し続けていたので、廃れることなく、心理学といい関係を築けています。
色々な経験をしてから心理学を学んだなら、振り返って自己を見つめなおすというよいプロセスを踏めると思います。しかし人間的にも経験的にも、ほぼ白紙の状態で心理学を学んでしまうと、まともな自我も持たないまま客観性だけ鍛えられてしまうのかもしれません。
実際に小学生の頃からは、集団の中で自分がどうしたいかによって行動するより、集団の最適解の穴埋めのために行動することが多かった。
本来の自分は集団のことなど全く気にかけないタイプのはずです。幼稚園時代、私は教室に戻らないといけない時間になっても、泥団子をひたすら磨いているか、園長先生や神父様のところに行って教室に戻ってこないようなマイペースな幼児でした。
父性を二人に強く求めていたせいもありますが、それにしても集団の中の個である自覚が全くありません。
そのような私が心理学漬けになった結果、集団の中の個を強く意識し行動するようになったのでした。
この集団の中では性質上リーダーに向いている個が自分以上にいない、自分がやったほうが集団にとって有益、だからやる。
というロジックで行動をしていました。
学級長になりたいからやる、仕切りたいからやる、目立ちたいからやる、という感覚は全くなく、自分自身としてそれをやりたい・やりたくないの感情すら抱いていませんでした。
議論を重ねるときにも、冷静にさせる人がいなければストッパーをやり、推進する人がいなければファシリテーターをやります。
とにかく、自分自身を集団の中の一リソースとして扱っていました。
集団にいると、やりたいやりたくないによる選択は常にできず、集団における最適解から選択をしてしまうため、一人きりになれる絵画に没頭したのかもなと今では思います。
そんな特異な能力ですが、ココナラで出品することにしました。
かなり疲れるため、身近な人にしか今まで提供してこなかったのですが、最近精神的にも時間的にも余裕ができたため、提供できる状況になりました。
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どちらも真摯に誠実にお悩みに向き合います。